白い猫の来た道

日々つれづれ

「呪いの言葉」をほぐすこと

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暮らしの手帖90号(10ー11月号)の連載で評論家の荻上チキさんが、『人からかけられた「呪いの言葉」と向き合い、ほぐす作業をしている30代半ばの人が多い』と書いていて、大きく頷きました。‬
荻上チキさんは私と同じ1981年生まれ。‬
‪「呪いの言葉」は、幼い頃から刷り込まれた「思い込み」や「常識」という言葉にも置き換えられます。‬

 

たしかに、私も含めて周囲の30代以降の人に、自分を縛っている思い込みと向き合っている人は多いのです。

 

ある人は幼い頃に母から言われたことだったり、学生時代に友人から言われた心無い一言だったり、パートナーからの支配的な言葉だったり、世間から刷り込まれたルールみたいなものだったり。
周囲の環境に適応するため身につけてきた様々な事柄の中に、自分を生きづらくしているものがあることにようやく気づくのがこの年代なのかもしれません。

 

かけられた呪いの言葉を、少しずつほぐしていく。自分を解放して行く。
時間はかかるかもしれないけれど、大人になるということは、その作業ができるようになるということ。
歳をとるということは何かを失っていくことでもあるけれど、それと引き換えにできることも増えていくんですね。

 

そして、大人になった今気を付けたいのは、周囲へかけるのは呪いではなく祝福をいうこと。
人が何を「呪い」と思うかはわからないから、完璧には無理かもしれないけれど、それを心掛けたいと思うのです。

 

荻上チキさんは最後にこう締めくくっています。

『どんな規範の言葉に呪われ、苦しめられてきたのか。自分と合わない相手と、規範で縛られて無理に付き合っていないか。人生のどのタイミングでも、重荷を下ろすことは赦される。荷ほどきに疲れたら、人と接するのにも疲れたら、ただただ好きな映画を眺めるというのもいい。もちろん、誰かに知識勝負を挑むのではなく、自分のための言葉を紡ぐために。』