白い猫の来た道

日々つれづれ

欠落と寂しさ

f:id:nekomaru44:20170620221249j:image

某雑誌にて、恋愛対象の相手に対して「何か欠落のある人が素敵に見えるんですかね」という一文を見ました。


あー、懐かしい感覚です。
私も20代くらいまでは似たようなことを考えてました。
どこかが欠けているように見える人って陰があって、放っておけない気持ちになるんですよね。


でも今は、欠落がない人なんていないと思っています。
皆どこかしら何かが欠けている。
どんな欠落に惹かれるかの違いでしかないんじゃないでしょうか。


それよりも今の私が大事にしてるのは、男女問わず、その人が自分の欠落とどう向き合っているかです。
欠落の中身より、そちらの方に人間性が出ると思っているのです。


そして、欠落に似たものとして、「寂しさ」も全ての人が持っているものと思っています。


だから、私が特別寂しいわけではありません。
あの人が特別寂しいわけでもありません。


必死になって埋めようとしたり、埋めてあげようとしなくていい。
寂しさに振り回されすぎないように。
寂しさは常にそばにあるもの。
みんな、ひとりぼっちなんですよ。
ひとりひとりが孤独を抱えて立っているんです。


でも、その寂しさが特別じゃないからといって、ぞんざいに扱っていいものでもないです。
皆も同じように抱えているからって、寂しさが消えるわけでもないです。


自分の寂しさを大切に扱うこと。
大切な人の寂しさに寄り添うこと。
誰かの寂しさに敬意を払うこと。


救うでも、埋めるでもなく、寂しさを抱えているもの同士、支え合っていけたらと思うのです。