白い猫の来た道

日々つれづれ

星の節目

皆さんは占いを見ますか?
私は好きな占い師さんたちがいて、定期的にその人たちの占いを見ています。
当たるかどうかというより、占い師さんたちが書く文章が素敵なので、それを読むために見ているところが大きいです。

自分の生活のヒントにもしています。


で、その占い師さんたちが揃って言っていることが、今の時期、星が動くので節目が来ていますよ、ということ。
かくかくしかじかで、7年周期の何かが動くようです。(そこらへんはよくわかってない)

 

真木あかりさんのブログの説明が詳しいです。


いろいろ考えてみると、7年前は大きな変化の年だったなと思い出しました。
2011年で東日本大震災がありましたから、同じように大きな変化のあった方が多いのではないでしょうか。


7年前、私は結婚を考えていた人に別れを告げました。
学生時代からずっと付き合っていた人だったので、その人と一緒に人生を歩んで行くことをベースに人生設計をしていました。
でも、別れる決断をしたことで、一からやり直さなければならなくなりました。


きちんと生計を立てられるよう仕事を見直し、実家を出て一人暮らしを始めました。
人見知りで狭い交友関係に安心をしているところから、とにかく外に出かけ、新しい友人を作るよう努力しました。
様々な活動を始めたのもこの7年のうちです。


交友関係を広げていろんな人とコミュニケーションをとるうちに、自分に欠けているものを見つめざるを得なくなりました。
特に恋愛では自分の弱い部分が出てしまうので、自分の欠落した部分をつぶさに見てきました。


自分の世界を広げることと、自分の中の欠落した場所に光をあてること。
それが、7年の間の私の成果です。


次の7年はどんなものになるのでしょう。
7年前の私に今の私を想像できていなかったのと同じように、今の私も次の7年を想像することは難しいです。


ちょうど今、いろんな理由から、新しい一手をどんどん生み出す必要に駆られているところです。
これも節目といえば節目なのかもしれません。


今は、自分が心から安心できる居場所と、自分を尽くせる何かを見つけたいと思っています。

これまで通りではなく、新しく変わりたいんです。


うん。頑張ろう。

うつくしいもの

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綺麗なものや美しいものが好きだ。

 

生きていくには大変なことが多いこの世界で、

ふと目に入ってくる美しいものは、まるで灯のようだ。

 

点々とともる灯を頼りに、今日も歩いて行く。

 

そして、誰かにとっての灯をともしていけたらいいなと思う。

フリーで行くと自分で決めました

昔から、人が普通にやっていることがうまくできない。

頑張っても空回りをする。

 

「普通」なんてものは実体がないのだと気づいたのはいつだったか。

それでも、今も時折、世慣れていない自分に落ち込む。

 

故あって自分自身の生き方や仕事の仕方を見直している。

 

私は新卒で企業に就職することに失敗した口で、個人事業主として働き始めたのはそれしかなかったからという事情からである。

 

「フリーで働いているなんてすごいですね」と時々言われるが、組織から「あなたはいりません」と言われた身としては、会社で働いている人たちは本当にすごいなと思う。

 

フリーで働いてきて15年、ここにきて、ようやくこれからもフリーで働いていこうと決めた。

やむを得ないからではなく、それ以外に道がないからというわけでもなく、自分で決めたのだ。

 

自分を社会に役立てていく。

そのためには、人がやっている「普通」を真似してやるのではなく、私だからできることを磨いていかなければならない。

もう30も後半に差し掛かり、遅まきながらようやく覚悟がお腹の中に収まった感じだ。

 

やらなければならないこと、そしてもっとできることがまだまだたくさんある。

ひとつひとつ、やっていこう。

わからないということ

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Twitterをしていて楽しいことのひとつに、普段は知り得ないはずの人の呟きを見ることにある。

 

海外に住む人、地方で子育てをする人、大都市で働く人。

年齢も、住む場所も、収入も、幸せも、抱えている悩みも、全くバラバラの人たち。

 

どこまで本当で、どこまで嘘かはわからない、SNS上に流れる膨大な言葉の連なり。

統一されたフォントで並ぶ言葉からは、不思議と多種多様な手触りが伝わってくる。

 

書かれている内容は理解できることもできないこともあって、感動したり嫌悪することも混ざっていて、そのごちゃまぜの感じが面白くて、Twitterを何年も気ままに眺めている。

 

いつ思うのは、「人は、私が想像も及ばない世界を内包している」ということ。

 

人は他人のことを自分が見える範囲で判断してしまいやすい。

この人はああいう人。あの人はこういう人。

勝手にラベルを貼って、項目分けをする。

 

でも、人間はそんなにシンプルな作りをしていない。

 

いつも元気なあの人が、実は何年も大きな病と闘っている。

言葉のキツイあの人が、実は誰よりも繊細だったり。

 

優しさも残酷さも、光の当たり具合によって、その日の気分の違いによってさえ、出方が違う。

多面的で、多層的で、奥行きがある。

 

目の前の人の、私が見えている部分はほんの少しの部分である、という事実を、心のどこかに持っていなければいけないと常に思う。

近しい人であっても、全てを理解できるわけではない。

 

見えていない部分への想像力。

わからない余白があるということ。

 

「わからない」ということはとても大切だ。

自分の想像が及ばない世界があるという事実を知ることは、謙虚さに繋がる。

謙虚さは、敬意を生む。

 

想像力と敬意。

それが、人と付き合うときに大切にすべきことだと思う。

大人としての気遣い

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慣用句のように自分を落とす表現を使う人がいる。

 

「あたしもうオバサンだから~」

「こんな気持ち迷惑だと思いますが」

 

人からの、「そんなことないですよー」というフォロー待ち。

あるいは、「自分はちゃんとわかっていますよ」という謙虚さを建前とした、傷つかないための防御。

 

私も前は無意識に使っていたけれど、ある時を境にすっぱりやめた。

自己卑下は謙虚でもなんでもなく、むしろそばにいる人にとって負担になることに気づいたから。

 

自分をおとしめる発言をしない。

褒めてもらったら「ありがとうございます」と微笑む。

 

その2つを守るだけで、自分も周りもリラックスしてずいぶんと会話がしやすくなる。

相手と自分の両方を大切にできる方法だ。

 

もし自分に自信がないのだとしても、他人を巻き込まない。

人にフォローしてもらうことで不安を紛らわせることをやめよう。

愚痴や弱音は相手と場所を選ぼう。

 

簡単なようでいて、実は難しい。

でも、大人になったら必要な気遣いのように思う。