白い猫の来た道

日々つれづれ

今を活かす

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仕事の場で使うプロフィール写真をプロに撮ってもらわないといけないなとぼんやり思い続けて数年がたちました。


ビジネスの場でよく見られるような写真館で撮ったプロフィール写真が苦手で、今仕事上のHPに上げている写真は自撮りで撮ったなんとなくそれっぽいものでにごしているのです。
縁あってあるカメラマンさんと知り合ったので、そろそろ重い腰を上げるかとぼちぼち服選びを始めました。
私は音楽教室の仕事をしているので、ドレスか、柔らかめの準フォーマルにしようかと思っているのですが、地方在住ですとドレスは圧倒的にネットの方が種類が多いです。東京だとショップが結構あるようですね。
ネットでいろんなサイトを見ていますが、モデルさんの美しさに見惚れるばかりで一向に決まりません。
写真を撮るまでにまだまだ時間がかかりそうです。


私は長い間、細いだけの自分の体型が好きではありませんでした。
特に上半身の細さが悩みのタネ。
良く言えば華奢。悪く言えば貧相。
痩せ体質で、食事が軽い日が3日も続くとすぐに痩せてしまいます。
1泊2日の旅行に行って帰ってくると2kg痩せていたなんてザラです。


ダイエットに励んでいる方から見たら羨ましいと思われるのでしょうが、20歳くらいの女の子なら儚げで可愛く見える細さも、30歳を過ぎた年齢だと貧相に見えてしまいやすいのですよね。シワも出やすくなります。
だから、かなり頑張って食べて体重も増やそうとしていたのですが、最近はたと思い至りました。


お腹いっぱいになっているのに頑張って食べて体重を増やすより、もうこの体型を活かす方向で行きませんか、と。
無理して維持する理想の体型より、心身ともに楽な状態の体型を自分の個性にしませんか、と。


そう思ったら本当に楽になりまして。

食事もちょうどいい分量でやめているので、胃もたれすることも少なくなりました。


理想とする自分に頑張って近づくことも大事だと思うのですが、今の自分を最大限に活かす努力を、私はずいぶん怠っていたと思うのです。


「こうでありたい」私ではなく、今の私を大事にすること。


プロフィール写真の服装は、そんなコンセプトで選んでいきたいと思っています。

チベットを馬で行く

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渡辺一枝さんの「チベットを馬で行く」という本を読んでいる。


私は数年前から、読みたい本を手帳の後ろに書いてリストを作っていて、その順番に沿って少しずつ読み進めている。今は2014年のリストだ。
この本もそのリストに載せていたものなのだけど、どこで知って何に興味を惹かれてリストに書いたのかは覚えていない。
渡辺一枝さんが椎名誠さんの奥様だということも読み始めてから初めて知った。


チベットを馬で行く」は、一枝さんが幼い頃から理由もなく惹かれていたチベットを馬で旅する旅行記だ。距離にして4000キロメートル。
写真はなく、ひたすら文字のみで558ページのハードカバーだ。

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旅行記は普段読まないジャンルだ。それでも、なぜかするすると読めてしまう。


当時、チベットの高原を馬で旅行する人はいなかったそうだ。車での移動が主。
一枝さんは、車の速度では速すぎて、もっとのんびりゆっくりといろんなことを感じたいとのことから馬での旅を決めた。
馬の速さで移動しながら見たこと。感じたこと。日本の家族との話。
面白い、楽しいというジェットコースターのような乱高下のある内容ではなく、一枝さんの旅行の話をゆったり聞いている気持ちになる。
いつもの読む速さではなく、もっとゆっくり読むペースがちょうどよくて、少しずつ読み進めている。


ここ最近、小さな棘が引っかかるような出来事が続いていて、気持ちが空回りしていて、体の調子もあまり良くなかった。
この本を読むように、いつもより速度を落として、ゆっくりのペースで日々を過ごしていこうかなと、ふと思った。

 

 

チベットを馬で行く (文春文庫)

チベットを馬で行く (文春文庫)

 

 

 

少数派

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このGWはいろんな人と会っています。
昨日は小学校の同級生たちと。
私は今36歳なのですが、この年齢になると結婚している人の方が多くなります。
昨日も、私以外は全員が既婚で子持ちです。
母と話していてふとその話題になった時に、「あんたばっかり…」とぽつりと言われたんですよね。
「結婚してないから引け目に感じるってこと?」
「そうじゃなくて、うらやましい」
なるほど。孫かー。
私と違って、母は人がたくさんいて賑やかな方が好きなのです。子供も好き。
だから、孫が欲しいと思うのでしょう。
でも、私は母の期待に応えるために生きてるわけじゃないんですよね。
「気持ちはわかるけどそれは無い物ねだりだし、今の我が家(実家)は今までで一番穏やかで平和じゃないの。それじゃあダメなの?」
と言ったら、確かにそうなんだよね、と返ってきました。
母だって、私が願うような親になるために生きているわけではないので、こういう発言に対してはちくりと刺して、あとは放っておくようにしています。


話変わって先日、好きな作家さんが90年代初頭に書いたライトノベルを読んでいたのですが、全体を通して主要キャラが「ホモは変態」と普通に連呼していて、途中で読むのをやめました。もちろん、悪い意味でしか使われていません。
20年以上前の作品ですから時代もあるかもしれませんが、この一言に集約される、少数派への偏見と、自分が正しい側にいると信じて疑わない上からの目線に、拒絶反応しか起きませんでした。
自分と違う他者の気持ちを、こんなにも思いやらない鈍感な言葉が、当たり前のように商業小説に乗っていることに驚きました。
自分がゲイだったとして、この本を読んだらどんな気持ちになるんだろうかと、心が冷え冷えとしました。

 

多数派の言葉が当たり前のように幅を取っていることがあります。
別に少数派を圧迫しようとか、傷つけようとか、そういう意図はなく、無意識に行われていることもあるのでしょう。
きっと私も知らず知らずにやってしまっています。
でも、一歩立ち止まって自分とは違う立場の人のことを想像する、というのは、とても大事だと思うのです。

 

そして、少数派だからといって、「普通」になろうとするのは、何か違います。
誰かの期待に応えるために人生を決定するのも、何か違います。
誰かが決めた枠組みの中には、きっと、幸せはないのです。

 

小学校の同級生たちは、たくましく子育てをしていて、しっかり自分の家庭を築いていました。かっこいーぜ。本当に尊敬します。
私も、縁があればいずれ結婚したいと思っています。
でも、独身で、子供がいない今の私も、穏やかに暮らせているし、いいぞと思いました。
そして、そう感じた自分が、とても嬉しかったのです。

心の欲するままに

このところ、料理するのが楽しい。新たなレシピでいろいろ作っている。
デパートやファッションビルを歩けば、あれもこれも欲しい服があって目移りする。
雑誌を開けば、行ってみたい場所がたくさん出てくる。
タガが外れたように欲望全開である。

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雑誌で行きたいお店をチェック。


昨年あまりに疲れていて、とにかくなんでもいいから休みたくて、仕事を縮小して出来る限り休養にあてた。
料理はできるだけ簡単なもので。服はほとんど買っていないし、休日は家にこもる日が多かった。
年明けにちょっと良くなったなと思っていて、春が過ぎて何かが芽吹いたみたいにやりたいことがふつふつと湧いている。
我ながら大丈夫かと訝りながらもしたいことがたくさんあるのはとても嬉しいことで、収入の関係で予算があまり潤沢ではないけれど、ひとつひとつ叶えていきたいと思っている。


欲望は、生きる力に繋がっている気がするんだ。