白い猫の来た道

日々つれづれ

選ぶということ

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上の世代の人と話をしていた際に「今は選択肢が多いから大変」という話を振られた。
少し前の世代は選択肢が少ないからそれでやっていくしかなかったけど、今は選択肢が多いから大変ね。
という話。
文章だけで見るとニュアンスがうまく伝わらないけれど、だから昔の方が良かったね、という話にふわっと結論が行こうとしていた。

 

特に真剣に討論をしていたわけではなくて。
なんとなく口の端に登った話題で。
世代が上の人たちなんだし、そうですねーとさらりと言えれば良かったのだけれど。

 

私はそうできずに「いえ、自分で選べる方がいいです」と言ってしまった。
「自分の幸せは自分で選びたいです」
はらはら、なんだか頑なな言葉になってしまいました。

 

その言葉に、「どんな環境でも幸せになれることの方が大事だよ」と返された。
確かに。確かに正論。
でも、なんだかそのあとずっと引っかかったままでいた。

 

選ぶ力と、幸せになる力は両輪で必要なんじゃないか。
引っかかり続けていたある日、ぽっかりそんな答えが浮かんだ。
人に許されている選択肢の数は平等ではない。
生まれた時代、生まれた環境にかなり左右される。
それでも、今私に許されている選択の中から、自分で選ぶということ。
そして、選んだその道で幸せを自分で作り出していくということ。
それが大事なのではないかと、思う。

 

昔の方が良かったなんて口が裂けても言いたくないのは、自分で人生を選ぶことができなかった祖母が、散々苦労をして生きてきたのを見ているからでもある。
職業も。
結婚も。
生きる場所も。
すでに決められていた道。
祖母が不幸せだったと、私が軽々しく断定することはできない。
だけど、祖母が自分で選択できたら、どういう人生を歩んだのだろう。

 

私は、大変さを背負ってでも自分で選択したい。