白い猫の来た道

日々つれづれ

『女子をこじらせて』を読むことは、バズーカで元気玉を撃ち込まれる衝撃に似ている

雨宮まみさんの『女子をこじらせて』を読みました。

「こじらせ女子」という言葉の元となった本です。

 

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

 


私は雨宮まみさんが好きで、連載されているコラムなどはずっと読んでいたのですがこの本は未読でした。

 

今でもブックマークしている『雨宮まみの“穴の底でお待ちしています”』

まみさんが様々な悩みに答えるもので、のちに『まじめに生きるって損ですか?』という名前で書籍化しています。

まみさんの言葉が沁み入るように心に入ってきます。

まじめに生きるって損ですか?

まじめに生きるって損ですか?

 

 

 

『女子をこじらせて』はずいぶん前から読みたい本のリストに入れていて、ようやく順番が来たので読みました。

そしたら、いつも本の感想をあげる読書メーターの字数制限255文字では足りないほど激しい心の動きを感じたのでブログの方にも感想を載せることにしました。

 

 

本書は、雨宮まみさんが自身の半生を綴った内容となります。

 

誰から見ても黒歴史と言って過言でない中学生から大学生時代。

自意識と性をこじらせ深みにはまっていったバニーガール時代からAVライターになるまで。

そしてフリーのライターになってから向き合った「女」であること。

 

初っ端から怒涛の勢いで赤裸々な事実や心情が綴られており、え?えっ?!と圧倒されます。

そんなところまで書いていいの?そんな傷口を開いて抉って見せるようなことをして大丈夫なの?!と読んでいるこちらがハラハラする始末…

 

大学受験のために東京で泊まったホテルでアダルトチャンネルに目覚め、宿泊している間勉強どころかオナニー三昧で過ごしてしまい、第1志望も第2志望も受験に落ちたなんて、きっと親しい友人にも言えないよなあとくらくら思うわけですよ。

 

恋愛でも、初めての経験が友人の彼氏だったことや、「自分が誰かに愛されることを確認したい」ためにテレクラで知り合った人と付き合ったこと、「女としての力を試す」ために「セクシーで綺麗でかわいい女」を見慣れているAV監督ばかりを選んで付き合ったことなどが生々しく書かれています。

 

もうなんというか…文中に『こんなに自分のセックスや恋愛をむきだしに撮る人がいるのか。こんな表現があるのか。見たことも触れたこともないものでした。』という文章があるのですが、まさしく本書を読んだ私の心情そのものです。

 

 

でも、悪趣味な自己開示ではありません。(少し露悪的ではあるかもしれない)

読んで行くうちに、まみさんがただひたすらに自分の中で渦を巻いている欲望や劣等感、自意識と向き合い、血みどろになり、それでも立ち上がって行く姿が浮かび上がり、激しく心が揺さぶられるのです。

自分が抱える傷に、ダイレクトに響いてくるものがある。

 

 

誰しもが、自分の中でこじらせているものを持っているのではないでしょうか。

私自身もこじらせているものは大きいです。

 

大きすぎて持て余した自意識や、子供の頃に言われた何気ない一言、知らず知らずのうちに植え付けられた価値観。

大人になればなるほど、普段は見ないふりもできるし、卒なく日常生活を過ごす術も覚えていく。

こじれたものに向き合うことはとてつもなく痛みを伴うもの。

 

でも、生身の自分とこれほどまでに潔く向き合い、傷だらけで表現し続けたまみさんを思うと、とてつもなく勇気付けられます。

それは、きっと女性だけではなく、切実なものを抱えた男性も同じだと思います。

そっと寄り添う薬箱のようなものではなく、バズーカで元気玉を撃ち込まれる衝撃に近いと思いますが。

 

巻末の久保ミツロウさんとの特別対談も熱い。

こじらせ女子の恋愛のこじらせ具合に「それな」と言いたいところが多すぎてただただうなずくばかり。

こじらせたものが絡みに絡みまくって、恋愛がうまくいかずにジタバタしている人は必見です。

 

 

著者の雨宮まみさんは、2016年に亡くなりました。

そのことが惜しまれてならないし、お疲れ様でしたと言いたい気持ちもあります。

でも、もっと、もっとまみさんの文章を読みたかったなと心から思うのです。