白い猫の来た道

日々つれづれ

ひとつのサイクルの終わりと始まり

f:id:nekomaru44:20171020212931j:image

この秋で一人暮らしを始めて3年たちました。


最初はペースが掴めなくて試行錯誤の連続でしたが、今はもう一人で暮らすことにはすっかり慣れて、生活も微調整しながら順調に回っています。


最近、なんとなくですがひとつのサイクルが終わったような気がするので、この3年間のことをつらつらと思い返していました。


一人暮らしを始めた頃から、ずっと自分自身と向き合い続けてきたように思います。
意識的にではなく、そうならざるを得ない出来事が続いたからというのが正直なところ。

 

仕事はいつも悩みながらやっています。大失敗したことも、反対に嬉しかったこともたくさんありました。

一番身近で、私自身様々な葛藤を抱えている家族とも向き合い、少しずつちょうど良い距離感を取れるようになってきました。
真剣に恋をしましたし、恋もされました。
たくさんのものを手放しました。
いろんな人たちと結んだ人間関係や、いろんな出来事に揉みに揉まれましたよ。
でも、とてつもなく多くの人やものに助けてもらい、学ぶことも数え切れないほどありました。


自分自身と向き合うというのは、あまり楽しい経験ではありません。
自分に欠けているところ、ダメなところ、過剰なところをがんがん見せつけられる日々。
心身の不調も重なって、しんどい時期も結構ありました。
病院にはずいぶんお世話になりました。


でも、ダメなところばかりではなく、自分の中にある良いところも素直に認められるようになってきました。
成長して良くなったのではなく、元々持っていたものを良いものだと受け入れられるようになったんですね。
それは、この3年の中でようやくできるようになったことです。それに気づいた時は本当に嬉しかったです。


私は今まで「こうあるべき」という形に自分を近づけようとしていました。
いつもどこにも居場所がないような気持ちでいるのが私の全てのコンプレックスの源であり、それは私自身に原因があるのだと思っていました。
私でない何かになれば受け入れてもらえるのかなと、欠けている部分を埋め、過剰な部分を削ろうと努力してきました。
でも、それは辛い作業でもありました。だって、自分を無理に別なものに作り変えようとするのですから。
なぜこんなに苦しいのかなあ、真面目に頑張っているのになあと思っていましたが、ある日、「無駄な抵抗はやめよう。自分自身で生きよう。そっちの方が楽しい」と考えを改めることにしました。
それは、この数年で出会った人たちや出来事に教えられたことです。
その答えに近づくたびに、重いものを少しずつ脱いでいるような気がしました。
そうしたら、前よりも周りのことがよく見えるようになりました。
自分の苦しみに囚われてばかりいると、自分のことしか見えなくなるのですよね。


総じてこの3年間は、自分自身の凹凸や形をできるだけありのままに認識する過程だったのだと思います。


ここのところ、じゃあこれからその自分をどうやって生かしていこうかな、と考えることが多くなりました。
何をして、誰といて、どこにいて、どんなふうに生きていくか。
たくさんのものを手放したので、その分余白はたくさんあります。
そこに、今の自分にしっくりくるものを少しずつ積み上げていきたいなと思うのです。


大切な人と一緒に人生を歩むこともしたい。
それぞれの人生をまっとうするベースとなるべき場所を一緒に作り、たくさんの思いを共有できればいいなと思います。


内向きから外向きへ矢印が切り替わったような感じがしますね。
もちろん、思うようにいかなくてぐるぐるすることは常にあります。
でも、自分なりの道を手探りしながら生きていこうと思っています。