欠けた世界
誰しもがどうしようもなく欠けた部分を持っている。
自分が抱えている欠落感の大きさは生き難さを生むけれど、その欠けた部分を安易に埋めてしまおうと思わない方がいい。
パートナーや、家族や、どこかの誰かが発するきらきらした言葉は、自分を救ってくれるような気がするけれど。
誰かが愛してくれたら、欠けた自分も愛せるような気がするけれど。
どこまで行っても足りないものは埋まらない。
埋めようとすればするほど欠乏感だけが募っていく。
欠落というのはいわば自分の宿題みたいなものだから、自分で解いた方がいい。
誰かが出した答えは、どんなに立派でも所詮自分のものにはならない。
自分の欠落を抱えて立つということは、人が孤独を引き受けるということだ。
孤独を引き受けた人だけが、欠けたその先にあるものを見ることができる。
欠けた部分から見える世界を慈しむということが、自分を愛するということ。
誰かの欠けた世界に寄り添うということが、人を愛するということ。