都会と地方と見えない階層
インスタで若い人たくさんフォローすると、生まれて18年くらいで何万人に見られる子たちのセンスの良さスゲーってなるし、自分が18の時にインスタがあったらその差を感じて死んでいたかもと思う…東京に行く前から、東京に住むだけじゃこの高さまでそう行けないってわかってしまうよこれは
— 🥓瀧波ユカリ🥓 (@takinamiyukari) 2017年7月24日
自分は18から東京に住んで、3年くらいたったところで「アレッ?もしかして一般人の東京の上に、特別人の東京がある?そして階段の場所ってセンスと運がないと見つからない系?」って気付いたんだけど、それが可視化されてるのが今のインスタなのかもしれない
— 🥓瀧波ユカリ🥓 (@takinamiyukari) 2017年7月24日
瀧波先生のツイートを読んで、色々考えてしまいました。
センスに限らず、お金、環境、文化、情報、あらゆるものに目に見えない階層があって、東京にはそのトップが集まってるんだよね。
今思うと、上昇志向の強い友人たちは都会に出て行くことが多かったな。
地方に在住していると、東京への憧れはやっぱり強い。
私は子供の頃にピアノのコンクールで毎年行っていた東京でつらい思い出が多かったことと、母子家庭の金銭的な問題とかもあって地方にそのまま残る選択をしてきたけれど、
東京に学ぶべきところはたくさんあるから、もっと若い頃に東京、あるいは別の地域に出る経験をしておけば良かったな、と思うことはある。
階層の上にいけなくてもね。
ただ、今の年齢になって思うことは、皆が皆東京を目指す必要はないな、ということ。
SNSでは何かを「持っている」人たちの投稿が山のように流れていて、享受できるものの差がはっきりと可視化されやすい時代だけれど、それらを持つことと自分が幸せであるかどうかは別なんだよね。
それには自分というものを知らなければいけない。
東京だからこそできることと、地方だからこそできることには違いがあって、どちらが自分に合っているかは自分だけが知っていることだし、年齢によってもそれは変わってくるだろうし。
人によっては自分に合う場所が日本以外の海外だということだってあるわけだし。(現に私の友人がそうなので)
住む場所も、目指すべきところも、誰かの価値観に左右されず、自分にとって一番合う場所を選べばいい。
でも、この見えない階層や、都会と地方のことについては自分の考えがまだまとまってないところもあって、これから考え方がどんどん変わっていきそう。
自分がどこに立っているかで見えているものは全く違ってくる。
下から上に上がることの困難さはこれからさらに大きくなっていきそうな気配がひしひしと感じられるし、下に行くほど選択の数は極端に減ってしまうんだ。
私自身、日本国内の一地方に住むことしか経験していないし、多くを知らないでどうやって自分の幸せを選択できるの、とも思う。
東京出身の人の考えも聞いてみたいですね。
ああ、ぐるぐるしてしまった。
考え途中の行ったり来たり、まとまらない様子を、たまには書いてみました。