白い猫の来た道

日々つれづれ

ご飯と無常

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ご飯は、毎回少しだけ炊き上がりが違う。
毎回同じ手順を踏んでいるはずなのだけど、気候の違いなのか、水の量の違いなのか、研ぎ方の違いなのか、米のちょっとした量の違いなのか。
今日のご飯がとても上手に炊き上がったのを見ながら、なんだかふと、私は毎回同じ手順を踏んでいるけれど、目の前のもの(お米)の状態は毎回違うんだよね、ということを考えていた。


毎日同じように見えるものも、微細に変化を続けている。
人間も動物も植物も、生きているものだけでなく無生物も。
細胞は生まれ変わり、新陳代謝をし、ゆっくりと朽ちていく。
道具も、古くなっていく。
生も死も、特別なことではなく大きな循環の一つだ。
自分も、目の前にいる人も、昨日とは違う。
昨日と同じ明日が続くなんていうのは、幻想だ。

世界は無常なのだ。
日々変化して行く過程の中で「今」があって、それは、自分を含むあらゆるものの無数の動きが交わった「今」という点だ。私たちが体験している「今」は、奇跡のような瞬間だ。
その「今」に対する敬意と、自分と交わったものへの敬意を忘れてはいけないな、と思ったのでした。


きっと当たり前のことなんて何一つない。
変わらないものなんてないから、大切なものは、人も道具も、人との関係も、自分も、手入れし、耕し、育てていかなければならない。


ご飯から壮大な話になってしまった。(あまりの話の飛びように誰もついて来れていないような気がする)


生活の一つ一つが、世の中の理の縮図になっていると感じている。
毎回同じように美味しいご飯を炊ける人は、「今」に合わせて変化を加えている人だ。


暮らしというのは、侮れない。