白い猫の来た道

日々つれづれ

青い沼の野草の花

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何かを心配したり、不安な要素を探したり、見つけた小さな不安を拡大してみたり、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと先の悪い予測を元に考えを巡らせていることに、頭と心のリソースを多く使いすぎている。ふとそう思った。
いや、本当は知っていた。でも、その心配を手放すことが怖かったから、どうにもできないでいた。
予測のつかないことが起こるのが人生なのだし、何かが起こってももう大人なのだからちゃんと対処できるし、手に負えないことは誰かに助けを求めれば良い。
頭ではわかってはいても、怖さは消えない。
のほほんとしていて落とし穴に落ちた時のことを考えるとぞっとするのだ。
だから言わんこっちゃない。いい気になっていたからだ、と。
心配しすぎることで、自分の中でバランスを取っている部分があるのだろう。
でも、今は不安を考える時間を、別のことに使いたい。
お。これまでにない心の動き。
好きなものや好きな人のことを考えたり、本を読んだり、こうやって文章を書いたり、勉強したり、穏やかに眠ったり、そういうことに時間を使いたい。
自分の心を削るような心配の仕方を、もうしたくない。
朗らかな気持ちでいたい。
自分に優しくしたい。

 

この、不安という青い沼の中から突如突き出した野草の花みたいな意志に、忠実になろうと思う。
どんどん、いい気になるんだよ。