白い猫の来た道

日々つれづれ

だいじにする

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時々、気がつくと自分を大切にできていないなと思うことがある。

人に言われたり、気づく出来事があったりして、いけないいけないと思い直す。

 

自分を大切にするというのがどんなことなのか、本当のところ、まだよくわかっていないのかもしれない。

こうかな?こんなかな?と思いながらやっている。

初めて飼った猫をおそるおそる撫でるような気持ちだ。

 

でも、そんな発想すらなかった何年か前にくらべれば、ずいぶん前進した。

がんばっているなと思う。

 

こうやって自分を褒めるということもだいじなことなのだ。

 

 

花を飾る

一人暮らしを始めてから、部屋に花を飾ることが日常になりました。

 

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実家にいた頃は、時々いただく花を飾ることはあっても自ら花を買うことはありませんでした。

今となっては花を飾り始めたきっかけが何だったのかは覚えていません。

気がついたら、部屋に花を置くようになっていました。

 

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1輪でも飾ると、花を取り巻く部屋の空気が変わります。

空気が彩られる。そんな感覚です。

花は動くことはありませんが、確かな生の息遣いが感じられます。

同じ部屋の中に、自分以外にも生きている存在を感じる安心感に、どこかほっとするのです。

 

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お気に入りの花屋さんで選ぶ花は美しいし、庭や道端に咲いているちいさな草花は可愛らしい。

美しいものをうつくしいと感じるのは、心に瑞々しさがないとできないことです。

花を飾ることは、自分の心のすこやかさを保つことにも繋がっています。

 

暮らしの中に彩りを灯す。

そんな気持ちで、今日も花を飾ります。

 

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Twitterで本名を出し顔写真をアイコンにした理由

いつからという正確な時期は忘れてしまいましたが、昨年頃から、私はTwitterで本名と自分の顔写真のアイコンを使っています。

(今年からはInstagramでも)


何年か前に一時期だけTwitterで本名を使っていたことがあるのですが、その時期、少し困った人に好かれることが頻発したのもあり、面倒を避けるためにHNに戻していました。


ではなぜ今になって、ということなのですが、ここ2年ほどの間にTwitterを介して知り合った人と実際にお会いする機会が何度かあったのが大きなきっかけです。
声をかけていただいたケースと、こちらから声をおかけしたケースとどちらもあるのですが、共通しているのは、相手の方々が本名(作家名)と自分の顔写真でTwitterをしていること。


オフ会など複数の人たちと会うのではなく、サシで会う。しかもリアルであったことのない方と。これには結構な信頼が必要です。

相手がどういう人なのか、Twitterを長くフォローしているとなんとなく伝わってくるものはありますが、本名と顔写真というのは大きな信頼の元になるのだなと実感したのですよね。


SNSやネットをどう使うかというのは人によって違いますが、私はこれから、今まで以上にリアルとネットを地続きで使おうと思っています。


Twitterを始めて7年くらいたちますが、私個人の概観として、昨年頃からTwitterで本名を出す人が増えてきているような気がするのですよね。
フォローしている人たちがTwitterを介して繋がり、様々な活動をともにするのを目にすることも多くなりました。
Twitterという場が、単なるネット上での独白から、誰かと繋がる場としての機能をより鮮明に浮き上がらせてきているんですね。

私は自分の名前で仕事をしていますし、「よむひと」など、自分の名前で活動を始めてもいます。

実際に身の回りにいる方々はもちろん、もっと遠くの方と繋がり縁を持ちたい。
それには、リアルではもちろんネットでも、「私」がどういう人間なのか知ってもらうことが大切になると思うのです。


TwitterInstagramで本名を出さず、HNでものすごいフォロワーを集めている人気のアカウントがありますよね。
そういう方はその文章や写真の感性で信頼や共感を得ているし、それは素晴らしいことだなと思います。

でも、そういった華々しい才能が特にない私は、地道に信頼を築き自己紹介をしていくのがベターだし、ペース的にも自分に合っているなと。


そんなこんなで、本名と顔写真付きでネットにいます。よろしくお見知り置きを。

3月に読んだ本

3月に読んだ本です。

3月は忙しくて、すでに記憶が薄れております。
あまり冊数は読めませんでしたが、1冊1冊の密度が濃かったです。

ちはやふるも、ゴーストハントリライト版も、日々是好日も素晴らしかった。

今はたくさん読むより、1冊ずつ丁寧に読みたい気持ちです。


3月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1595
ナイス数:91

ちはやふる(37) (BE LOVE KC)ちはやふる(37) (BE LOVE KC)感想
生まれ変わったような田丸さんの頑張りや、涙ぐみながらかなちゃん母に着物のしつらえを頼む太一母や、かなちゃん母の仕事ぶりのかっこよさや、自分の弱さを人に見せることができるようになった詩暢ちゃんや、とにかく見所が盛りだくさんな37巻の一番は、原田先生の「苦しかったな 絶体絶命がたくさんあったな 絶体絶命を愛せよまつげくん これから先 ずっとだ」だと思う。深夜にひとり、このセリフにたどり着いた私の気持ちの荒ぶる高まりを一体何に例えよう。最高です。ちはやふる大好き。
読了日:03月01日 著者:末次 由紀
ゴーストハント2 人形の檻 (幽BOOKS)ゴーストハント2 人形の檻 (幽BOOKS)感想
ゴーストハントのリライト版2巻。洋館を襲うポルターガイストの謎。2巻から本格的な心霊ものになったことにびっくりした記憶があります。ティーンズハート版の時には入れなくてはならなかったのであろう恋愛色は薄れ、小野不由美さんの怖さが本領発揮です。こうして読み返してみると、すでに最終巻までの布石が随所に散りばめられているのだなーと実感。いなだ詩穂さんが描く裏表紙のぼーさんがかっこいいなあと惚れ惚れしつつ3巻へ進みます。
読了日:03月02日 著者:小野 不由美
日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ感想
エッセイストの森下典子さんが、お茶を始めてからの25年間を綴った本。最初は型ばかりで自分が何をやっているのか見当もつかなかったのに、ある日突然霧が晴れるように、四季の変化や世界の多彩な色彩が繊細に感じられるようになっていく過程にはっとします。そして、「今を生きる」ことの大切さが心にまっすぐ入ってくる。背筋が伸び、心に明かりが灯るやわらかな文章の数々に、何度も読み返そうと固く決意しました。最初の発売から15年以上が経っていますが、先日も書店で平積みされていました。納得の良書です。
読了日:03月07日 著者:森下 典子
ゴーストハント3 乙女ノ祈リ (幽BOOKS)ゴーストハント3 乙女ノ祈リ (幽BOOKS)感想
ゴーストハントリライト版3巻。女子校で起こる数々の怪現象にSPRの面々が挑みます。ナルが自分のことを「(有能で顔も良くて)このうえ性格までよかったら長生きしない」と言うセリフがあり、初読の時は笑って読んでいましたが、シリーズ最後まで読み切った後のこのセリフは胸が痛いです。あちこちに散らばる巧みな伏線と、全てを知った後に意味が反転してこちらに届くセリフの数々。小野先生は、やっぱりすごい。
読了日:03月10日 著者:小野 不由美
簡素なくらし─つつましやかに、美しく簡素なくらし─つつましやかに、美しく感想
イラストレーターのmitsou(ミツ)さんが、好きなものや生活まわりのものについて綴った本です。刺繍のハンカチ、白い器、繰り返し観る好きな映画…。懐かしい雰囲気の写真に、静かな語り口の文章が美しいのです。自分の生活の中に好きなものがたくさんあるということは、素敵なことですね。
読了日:03月20日 著者:mitsou
魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)
読了日:03月29日 著者:米原 万里

読書メーター

「よむひと」を始めました

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美しい春の気配がそこかしこに感じられるようになってきました。
仕事のブログは定期的に更新していますが、こちらのブログをしっかり書くのは久し振りです。


昨年の11月から、「よむひと」という名前で活動を始めました。
文字通り「読む人」に焦点を当てた活動です。


5年ほど前に、「よんかくの会」という名前で読書会の活動をしていた時期があります。
定期的に読書会を開催し、楽しくもあったのですが、いろいろあって1年ほどして活動は休止しました。
その後不定期でほかの人と一緒に読書会を開催したりしていましたが、やっぱり腰を据えて本の活動がしたいなあとうらうら考えておりました。


本の周りには、本を書く人、本を編集する人、本を作る人、本を出版する人、本を印刷する人、本を売る人、本を読む人、などなど、様々な関わり方があります。
どれも大変だけれど楽しそう。自分で経験したこともいくつかあります。


その中で、自分が小さい頃から飽きずたゆまずずっと続けてきたのは、「本を読む」というシンプルなこと。
そこに起点を置いた活動ができないかとふと思い立ちました。


若松英輔さんの『悲しみの秘義』という本に出会ったことも大きいです。
若松さんはこの本で、読むことの大切さを書かれています。
少し長いけれども引用しますね。

 

  読むことは、書くことに勝るとも劣らない創造的な営みである。作品を書くのは書き手の役割だが、完成へと近づけるのは読者の役目である。
  作品は、作者のものではない。書き終わった地点から書き手の手を離れてゆく。言葉は、書かれただけれは未完成で、読まれることによって結実する。読まれることによってのみ、魂に語りかける無形の言葉になって世に放たれる。読み手は、書き手とは異なる視座から作品を読み、何かを想像している。書き手は、自分が何を書いたか、作品の全貌を知らない。それを知るのはいつも、読み手の役割なのである。

 

『悲しみの秘義』 若松英輔  ナナロク社 より

 

「読む人」に起点を置いた活動をしたいなと考え始めたほぼ同時期にこの本に出会いました。
とても大きな衝撃を受けました。


読むことが大切であることも、想像的な行為であることも知ってはいたのですが、私は頭のどこかで「読む」よりも「書く」ことの方が上だと考えていることに気づいたからです。


ああそうだなあ、「書く」と「読む」は、車の両輪のように互いに存在することで成り立っているものだなとストンと腑に落ちました。


それなら、もっと「読む」を楽しめることができる活動をしよう。
そう思って「よむひと」を始めることにしました。


これからの活動としては、「読む、識る(しる)、出会う」をコンセプトに、定期的読書会を開催し、そして「本を読む」ことを心から楽しんでいる人や物事についての読み物を載せていきたいなと思っています。
自分1人だけではなく、様々な人たちと一緒にできることもあったらいいなとも考えています。
まだ始めたばかりなので手探り状態ですが、本を楽しむ方法のひとつになれたら嬉しいです。

 

「よむひと」HP  ホーム - よむひと

Facebookページ  https://www.facebook.com/yomuhito46

Twitter  よむひと (@yomuhito46) | Twitter

 

 

そして、明日3月23日(金)の夜から25日(日)の夜にかけて、Facebook上で「第3回よむひと読書会」を開催します。

Facebookイベントページ  第3回よむひと読書会 on Facebook


「第3回よむひと読書会」のテーマは、「18歳の自分へ送りたい本」。
今のあなたが、18歳の自分へ本を送れるとしたらどんな本を送りますか?
ご参加いただくにはFacebookへの登録が必要ですが、閲覧のみでしたら登録しなくてもできます。
イベントページのコメント欄に、本のタイトル、作者名、その本を選んだ理由や18歳の自分へのメッセージなど、お好きなコメントをお書きください。
どなたでもご参加いただけます。
多くの方のご参加をお待ちしています。

 

これから、「よむひと」をよろしくお願い致します。