白い猫の来た道

日々つれづれ

長く続けること

f:id:nekomaru44:20180425190141j:image

私はピアノ教室を主宰しているのですが、そこが今年の4月で丸10年を迎えました。

 

10年は、長いような。それでいて短いような。

それでも、なんにしても流れの速い昨今のことですから、長く続いている方だと思います。

 

ピアノを始めてからは30年以上が経ちますし、何かを長く続けていることを褒められることが多いです。

でも、私自身はフットワークが重く何事にも慎重なので、何かに新しく挑戦するのに時間がかかります。

 

だからいろんなことを次々と新しくやっていく人というのをいつもうらやましく思っているのですよね。

 

そんな折、教室を始めて10年をすぎた今年、仕事にまつわることでようやく理解に至った出来事がありました。

その内容は専門的なことなのでここでの説明は避けますが、長く続けているからこそたどり着いた答えでした。

 

積み重ね続けていないとわからないこともあるなと実感。

 

新しいことに次々挑戦する人も素晴らしいですが、こうやって何かを長く続けているということも素晴らしいことだなあと自画自賛したのでした。

 

もちろん、嫌なことを「石の上にも3年」みたいに長く続けなければいけない必要などどこにもなく、つらかったら早く別の道に進む判断をするのは大事なことです。

一つに絞ることなく興味のあることをいくつも並行してやるというのも楽しいことですね。

 

どんなものでも、長く続けていると何かしらたどり着くものがあるとわかったのは、得た答えそのものよりもよりも大きな収穫でした。

見ていてくれる人

f:id:nekomaru44:20180423200306j:image

私がやっている「よむひと」という本の活動で、今度カフェではないところで読書会をするのですが、その会場の担当の方にFacebookでイベントのシェアをしていただきました。

 

それがね、とっても丁寧な紹介文で。

 

「イベントをシェアしてもいいですか?」とメッセージが来たときに、軽い気持ちで「ぜひお願いします😊」と返したのですが、まさかイベントだけではなく「よむひと」のサイトまできちんと読み込んで紹介していただけるとは思ってもみなかったです。

大抵は、簡単な紹介文と共にイベントページがシェアされることがほとんどなので(それだけでもありがたい)。

 

本気で感動してちょっと涙まで出た。

 

最近、なんだかいろんなことがうまく回っていなくて、頑張っても空回りで、焦ったり落ち込んだりしていたのですが、そんな場合じゃないなと思いました。

 

見ていてくれる人はきちんといる。

 

焦ったり落ち込んだりする前に、イベントのシェアをしてくれた人のように、目の前のことにもっと愛情を持って誠実に携わろうと思いました。

 

ほんとに嬉しかったなあ。

 

ありがとう、さくらちゃん!

(ここは見ていないので、今度会ったときに伝える!)

みちしるべ

春は不安定だ。

 

陽の光が透過する力が強くなるのと共に、自分の中の暗闇にも光が当たる。

 

心のみにくさに触れると、嫌悪感とともに、どこか安らぎを覚えることがあるのはなぜだろう。

 

ぞろぞろと這うものに耳を傾ける。

なぞった形に陶酔する。

 

昏いものに身を委ねてしまいたくなるとき、私はうつくしいものに触れることにしている。

うつくしさはただそこにあって、すっと透明な光を差している。

黒々とした心に風が吹き込む。

 

私は、みにくさを引き連れたままで、うつくしさの指し示す道を選ぶ。

うつくしさは、行くべき道を指し示してくれる道しるべだ。

 

『女子をこじらせて』を読むことは、バズーカで元気玉を撃ち込まれる衝撃に似ている

雨宮まみさんの『女子をこじらせて』を読みました。

「こじらせ女子」という言葉の元となった本です。

 

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

 


私は雨宮まみさんが好きで、連載されているコラムなどはずっと読んでいたのですがこの本は未読でした。

 

今でもブックマークしている『雨宮まみの“穴の底でお待ちしています”』

まみさんが様々な悩みに答えるもので、のちに『まじめに生きるって損ですか?』という名前で書籍化しています。

まみさんの言葉が沁み入るように心に入ってきます。

まじめに生きるって損ですか?

まじめに生きるって損ですか?

 

 

 

『女子をこじらせて』はずいぶん前から読みたい本のリストに入れていて、ようやく順番が来たので読みました。

そしたら、いつも本の感想をあげる読書メーターの字数制限255文字では足りないほど激しい心の動きを感じたのでブログの方にも感想を載せることにしました。

 

 

本書は、雨宮まみさんが自身の半生を綴った内容となります。

 

誰から見ても黒歴史と言って過言でない中学生から大学生時代。

自意識と性をこじらせ深みにはまっていったバニーガール時代からAVライターになるまで。

そしてフリーのライターになってから向き合った「女」であること。

 

初っ端から怒涛の勢いで赤裸々な事実や心情が綴られており、え?えっ?!と圧倒されます。

そんなところまで書いていいの?そんな傷口を開いて抉って見せるようなことをして大丈夫なの?!と読んでいるこちらがハラハラする始末…

 

大学受験のために東京で泊まったホテルでアダルトチャンネルに目覚め、宿泊している間勉強どころかオナニー三昧で過ごしてしまい、第1志望も第2志望も受験に落ちたなんて、きっと親しい友人にも言えないよなあとくらくら思うわけですよ。

 

恋愛でも、初めての経験が友人の彼氏だったことや、「自分が誰かに愛されることを確認したい」ためにテレクラで知り合った人と付き合ったこと、「女としての力を試す」ために「セクシーで綺麗でかわいい女」を見慣れているAV監督ばかりを選んで付き合ったことなどが生々しく書かれています。

 

もうなんというか…文中に『こんなに自分のセックスや恋愛をむきだしに撮る人がいるのか。こんな表現があるのか。見たことも触れたこともないものでした。』という文章があるのですが、まさしく本書を読んだ私の心情そのものです。

 

 

でも、悪趣味な自己開示ではありません。(少し露悪的ではあるかもしれない)

読んで行くうちに、まみさんがただひたすらに自分の中で渦を巻いている欲望や劣等感、自意識と向き合い、血みどろになり、それでも立ち上がって行く姿が浮かび上がり、激しく心が揺さぶられるのです。

自分が抱える傷に、ダイレクトに響いてくるものがある。

 

 

誰しもが、自分の中でこじらせているものを持っているのではないでしょうか。

私自身もこじらせているものは大きいです。

 

大きすぎて持て余した自意識や、子供の頃に言われた何気ない一言、知らず知らずのうちに植え付けられた価値観。

大人になればなるほど、普段は見ないふりもできるし、卒なく日常生活を過ごす術も覚えていく。

こじれたものに向き合うことはとてつもなく痛みを伴うもの。

 

でも、生身の自分とこれほどまでに潔く向き合い、傷だらけで表現し続けたまみさんを思うと、とてつもなく勇気付けられます。

それは、きっと女性だけではなく、切実なものを抱えた男性も同じだと思います。

そっと寄り添う薬箱のようなものではなく、バズーカで元気玉を撃ち込まれる衝撃に近いと思いますが。

 

巻末の久保ミツロウさんとの特別対談も熱い。

こじらせ女子の恋愛のこじらせ具合に「それな」と言いたいところが多すぎてただただうなずくばかり。

こじらせたものが絡みに絡みまくって、恋愛がうまくいかずにジタバタしている人は必見です。

 

 

著者の雨宮まみさんは、2016年に亡くなりました。

そのことが惜しまれてならないし、お疲れ様でしたと言いたい気持ちもあります。

でも、もっと、もっとまみさんの文章を読みたかったなと心から思うのです。

習慣化する

 

f:id:nekomaru44:20180417114302j:image

今年の冬はとにかく厳しかったので、ずっと家にこもっていました。
やっと春になって暖かくなり、体も動いて来たので、ここのところ生活の中に少しばかり新しいことを投入しています。


私が新しいことに挑戦する時に大事にしているのは、やる気でも計画でもありません。
とにかく習慣化すること。
生活習慣に組み込まれた事柄は、自然と積み重ねられていくので本当に強いです。


私はピアノ教室を主宰しているのですが、ピアノの練習も同じこと。
生徒が興味を持てる教材を使うのも、できるだけ毎日ピアノに向かうよう保護者の方に気をつけていただくのも、全て練習を生活習慣に組み込むためです。


自然と体が向かうようになったら成功。
それを楽しんでできるようになったらこれ以上ないくらい大成功。

習慣で積み重ねられていくものを努力と呼ぶのだと思います。

決して辛いことを頑張ることではない。
成果や結果は、積み重ねたものの後からついてくるものです。


逆に言うと、頑張っても習慣化できなかったものは自分に向いていないということです。


私に向いていないのは運動。
運動だけは何回挑戦しても挫折してしまいます。
それでもまだ諦められないので、気長にあれこれやっています。
向いてないのはわかっているのですが、こういう続け方もまたいい、かな。